おじいちゃん、おばあちゃんに聞きました!!

2010年9月30日

おじいちゃん、おばあちゃんに聞きました1
おじいちゃん、おばあちゃんに聞きました2

 

□インタビューその1
笠倉寿子さん(かさくらひさこさん、88歳、東山に在住)に、昔のめぐろの様子を聞いてきました。

戦争(せんそう)のあとも、食料がなく食べられる雑草(ざっそう)をつんで食べていたそうです。ほとんど戦争のときと変わらず、男の人は買出(かいだ)しに行っていたそうです。
ちなみに、そのとき人気だった食べ物は、「かりんとう」だそうです。
勉強時間は、1日合計3時間ぐらいしたそうです。そろばん教室や書道(しょどう)教室があったそうです。
私は話を聞いて、昔の人は、たくさん働いていてすごいと思いました。それに1日3時間も勉強してえらいと思いました。
                                       キッズレポーター: くりもも

<かさくらさんに伺った内容>

●戦争の様子
かさくらさんのアパートの近くのお風呂屋さんに、爆弾(ばくだん)が落とされた。食料などの荷物は、土に埋(う)めた。その後菅刈小学校に1週間とめてもらった。戦争の時の食べ物は、いもの入ったごはん。少しだけ野菜の入った味噌汁。物は地方に買い出しに行った。お店はなく、物と物で交換していた。
戦争のあとの食べ物は、雑草をおひたしなどにして食べた。
●人気の食べ物
かりんとうなど、ただし新宿まで行かないと買えなかった。
●人気の遊びは
三角乗りという、自転車をつかった遊び(・・・?)
●近くに畑はあった?
ほとんど無かった。東山の方には竹やぶはあった。
●家はどんな家が多い?
木造建てで2階建てが多かった。周りはコンクリート(モルタル)で、中は板で作られていた。
●昔はあったけど今はほとんど無い仕事は?
牛乳屋さん、電話交換手 など
  
●感想
インタビューをして、戦争は思った以上に怖かった。みんなが戦争のことを少しでも学んでほしいと思った。
                                         キッズレポーター: わなりな

 

□インタビューその2
殿塚 常治(とのづか つねじ)さん(97歳)に聞きました。

目黒は、とてもめぐまれた土地で、お金持ちの人がたくさん住んでいた。
川や田んぼ、畑があり、どじょうやザリガニやヤギがいた。

角田さんというえらい人がいた。竹やぶや大きな家があった。
だから目黒には、角田という人がいっぱいいる。

戦争が終わって帰ってきたら、自分の家はやけ残り、他の家はほとんどなくなっていた。
食べ物には、そんなにこまらなかった。(田舎で米をそだてていたから。)
他の人は、配給(はいきゅう)で粗末(そまつ)なものしか、もらえなかった。

ビルや高い建物は、なかったから、家ののきさきから、多摩川の花火が良く見えた。
ケガをしても、治(なお)してくれる人がいないから、蛆虫(うじむし)が住み着いてしまい亡くなってしまう人もいた。
アメリカの進駐軍(しんちゅうぐん)のオートバイが目黒通りをびゅんびゅん走っていて子どもは、あぶないから通らせられなかった。昭和三十年以降、家がふえてきた。

と、言っていました。
私はこのことを聞いて、今はビルや高い建物がたくさんあるけど今は平和だなぁと、思いました。
                    
                                          キッズレポーター: スー
殿塚さんからいただいた漢詩(かんし)です。

漢詩


<漢詩の意味>

   ぜいたくをしないで一生をすごし、おだやかに生きていくこと。

   都会ではなく、山や畑や川や田んぼがある所で生きていくのが一番いい。

   昔は、人は50歳までしか生きられないと言われていたが、がんばれば70歳まで生きられる。

   100歳まで生きるのは大変だけれど、あっという間。